ストレス反応と「生の欲望」
体は極端な経験には、ストレスホルモンを分泌することで応じる。ストレスホルモンはしばしばその後の病気や疾患の原因だとされる。だがストレスホルモンは、尋常ではない状況に反応するための力と耐久性を人に与えるためのものだ。災難に対処するために積極的に何かをする人―家族あるいは見知らぬ人を救ったり、人を病院に運んだり、医療チームで働いたり、テントを張ったり、食事を用意したりする人-は、ストレスホルモンを適切な目的のために使っている。したがって、トラウマを被る危険がずっと小さい(とはいえ、誰にも限界があり、どれだけ準備の良い人でさえ、直面した問題の大きさに圧倒されることがある)。
身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法 ベッセル・ヴァン・デア・コーク 著 柴田裕之 訳 P355
無力で動けない状態だと、人は自分を守るためにストレスホルモンを利用することができない。そうなると、ホルモンは分泌され続けているものの、それが促すはずの行動は妨げられてしまう。やがて、対処を促進するはずだった活性化のパターンが、本人の体に不利に働き、今度は不適切な闘争/逃走/凍結反応を煽り続ける。適切に機能する状態に戻るためには、このいつまでも続く緊急反応を終わらせなければいけない。体は標準的な状態にまで回復し、安心してくつろぐ必要がある。そうすれば、体は本当の危険に直面したときに、行動を起こして対応できるのだ。
身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法 ベッセル・ヴァン・デア・コーク 著 柴田裕之 訳 P355~356
自分のために有利に働くはずのストレスホルモンが、「無力で動けない状態」にあると逆にトラウマを起こす可能性があること。これも「生の欲望」のベクトルの方向が違う場合と理解できる。ただ、森田療法が主に扱う「不安」「神経症」と比較して、トラウマの場合は「煩悶即解脱」とか、「感情はそのままにしておくと消失する」というふうにはいかないのだろう。