「生の欲望」とは
「生の欲望」とは「ホメオスタシスの一つの表れ」である
ダマシオは次のように書いている。
感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ アントニオ・R・ダマシオ著 田中 三彦訳
P60 第二章 欲求と情動について より
自然は、単なる生存という恩恵に満足せず、どうやらすばらしい後知恵を使ったようだ。じつは、生得的な生命調節装置は生と死の中間的な状態を目標とはしていない。そうではなく、ホメオスタシスの努力の目標は中間よりも優れた命の状態を、つまり、思考する豊かな生き物であるわれわれ人間が「健康でしかも〈幸福〉である」とみなす状態へと導くことだ
森田はそれに対して、
森田正馬全集 第二巻 P178 神経衰弱及強迫観念の根治法 から
さて今度は生の欲望という現象を客観的に少しく観察してみよう。生物における自己保存欲、生殖欲、種族保存欲と名づくるものは、皆この生の欲望である。これを客観的に言い表す時には、衝動とか行動とか活動とかいう語になって来る
森田正馬全集 第一巻 P364 神経質及神経衰弱症の療法 から
更に之を生物について見るに、生物は皆自己保存発達のために、快を求め不快を避けようとして各々その機能を発揮している。これが努力である。人はこの快を名けて幸福といい、不快を名けて不幸といっておる
二人の考えはほぼ一致している。そればかりか、 「努力」、「幸福」という言葉の一致しているところにも注目してほしい。
ホメオスターシスって学生時代に教えてもらったのは、恒常性という意味でした。ネットで調べても同じようなことが今でも書いてある。生体が生理状態などを一定に保つ働きということである。もちろん「生きていく」ためなのだが、ダマシオはちょっと違う。
それは、ただ「生きている」という目的ではないことに注目すべきである。「よりよく生きるために努力する」ということが、ダマシオのいうホメオスタシスの表れであり、森田療法でいう「生の欲望」であると考える。
上記、人生観はフランクルにも通じるものがある。