あの日の星空
東北の大地震から10年経過し、TVではその特集がたくさん組まれていた。その中のNHK震災ドキュメンタリー「あの日の星空」を見て考えたこと。10年前の3月11日、停電が起きて、夜空に浮かぶ星がたくさん見えたとのこと。その番組から引用。
普段は町中だと一等星くらいしか見えないのですが、あの夜は四等星、五等星、六等星くらい見えていたかもしれないですね。
こんな残酷な状況になっているのに、こんなきれいな星ってなんなんだろうと。そのときはじめて涙あふれて止まんなくなって、なったんです。
地獄の星空ってこうかなって思ったりね。光りっぱなしというか、星がいっぱいあって見ている範囲がぜんぶ星なんですね。「なにやってもムダだぞ」星にそう言われているようでね。自然の強さを見せつけられた星空。
星を見たときにあの日のことを思い出させるのは、結構また前向きになれるというか、もう一度前向きになれるような、そういう瞬間は感じることはありますね。
どこまでも続いているような深くて冷めた漆黒の空、星はいつもよりクッキリとして、今ここで起こった事などとは別世界なんだろう。・・・私が見た光景は家族の誰にも言うまい。もうどうする事も出来ないだろうし一人でしまっておこう。明日起こるかも知れない事は-あの日の漆黒の空の中で明るく光っていた場所は人生を受け入れる準備をする時間だったのかも知れない。
引用終わり。もちろん星の一つ一つが亡くなった人だと想われた方もたくさんいた。
以前読んだ本に「人間が本当に腹落ちするには、自然が必要だ」と書いてあったものがあった(何の本か失念した)。たぶん、その本には自然の中で散歩することが例にあったと思う。理性脳では了解しづらいことを、自然の力が情動脳から了解することを助けているのだろうか?
震災を体験し、その星空を見た岡崎伸郎はこのように書いている。
それは大海原や雄大な山並みを前にしたときの感動とは質的に異なるものだ。一種の“節理”に触れる感覚といってもよいかもしれない。
星降る震災の夜に ある精神科医の震災日誌と断想 岡崎 伸郎 著 P15
星空は自然の中でも特別なものなのだろうか?