ありきたり
言葉と事実の問題について
そしてわたしたちは、その「一日中、頭に思い浮かべるたくさんの言葉」に、平気で、かなりありきたりの表現を使います。そのため、日常がどんどん「ありきたりな出来事」で、埋め尽くされていくのです。ホントは今日の「天気が良い」と昨日の「天気が良い」は、それぞれ全然違う美しさと輝きを持っているはずなのに同じ「天気が良い」という言葉で表現するため、「なんとなく最近ずーっと天気が良い」という、平板な毎日になってしまう。これではいつも、おんなじような日が続いていくだけです。
ジュラシック・コード 渡邊 健一 著 P158
言葉による抽象化は、簡単に言うと「わかったように思っている」「事実を十分吟味しないで、わかったつもりでいる」というようなことが起きがちであるということ。森田正馬もこう記述している。
吾人は生まれて以来、常に様々の経験をして之を記憶に貯へ、之を想ひ出す事が出来る。之に符牒として名目を付け、之が言語となり文字となる。之は動物にはなくて人間が初めて得た機能であるが、此言語があって、初めて思想が出来た。言語と思想とは実用的には殆んど同様のものと見做して差閊がない位である。言語のない動物には思想はない。然るに此思想即ち詳しくいへば抽象的知識は事実若くは経験の組織に対する符牒であるから、決して事実其物ではない。
森田正馬全集第二巻 P140
森田も言っているが、動物は思想すなわち抽象的知識がないから、事実をそのまま感じるしかない。これがいわゆる『あるがまま』に通じるものである。東日本大震災のときに星が降るようにきれいに見えたということは、もちろん停電の影響もあるが、「ありきたりの」夜空ではなくて、「あるがままに」言い換えれば動物脳で、満天の星を見ることができたために、たくさんの人の印象に残ったのだと思う。