エピステミクスと思想の矛盾
主観的自己と自己の内部世界と、外部世界の三者の相互関係を研究する科学分野はまだ存在しない。そのような研究分野は人間にかかわりをもつすべての研究分野からの知識が必要になることは勿論であるが、基本的には心理学と脳科学のうえに築かれるべきである。このような研究分野を、ギリシア語で“自己の認識”を意味するエピステミクスと呼んで従来の認識論―エピステモロジー―に対比させたい。エピステモロジー、つまり認識論とエピステミクスの研究対象は同じであるが、両者の視点は逆である。エピステミクスの目的は自己の内部から外部に向けた主観的見解の形成であり、認識論の目的は外部から内部に向けられた科学的見解の形成である。エピステミクスは認識論の中核であり、認識論はエピステミクスを包む、という点で両者は切り離せない。両者からもたらされるものは、個別的、特例的な脳と集団的、社会的な脳の間の不可避の相互作用である。
三つの脳の進化 反射脳・情動脳・理性脳と「人間らしさ」の起源 ポール・D・マクリーン 著 法橋 登 編訳・解説 P19
マクリーンが提唱した“エピステミクス”であるが、これは森田療法の“思想の矛盾”と関係すると思う。
思想の矛盾とは、斯くありたい、斯くならなければならないと思想する事と、事実即ち其予想する結果とが反対になり、矛盾することに対して、余が仮りに名づけたものである。
抑も思想なるものは、事実の記述、説明若くは推理であり、観念は事物の名目若くは符牒たるに外ならない。又例へば鏡に映る影のやうなものである。此映像が観念若くは思想である。即ち観念乃至思想は、常に其まま直ちに実体若くは事実ではない。
人々が此観念と実体との相違を知らず、思想によって、事実を作り若くは事実をやりくりし、変化させようとするために、屡々余の謂はゆる思想の矛盾が起るのである。
森田正馬全集第二巻 P326 思想の矛盾
すなわち、エピステミクスは主観的見解(思想)そのものであり、それを包含しているのが認識論(事実)であるが、その思想が間違っていれば、外部環境に対して不適応が起こる(思想の矛盾)ということでは、と考える。