カーネマンと森田療法(3)
第30回森田療法学会において「森田療法とフロー理論についての一考察」という演題で発表させてもらってから、もう6年以上経った 。
フローとはミハイ・チクセントミハイにより提出された概念で、ひとつの活動を行う際の内発的に動機づけられた、時間感覚を失うほどの高い集中力、楽しさ、自己の没入感覚で言い表わされるような意識の状態あるいは経験をいう。
今回カーネマンの著書を読んでいると「フロー」についての記述があった。
その主旨は、「人間が知的作業を継続するためにはセルフコントロールが必要であって、本当は『最小努力の法則』により、それは本質的に不快なことで、できれば避けたいことなのである」ということ。だが「フローに入ると、長時間、意志の力を発動しなくとも、努力を続けることができる」ということ。
フローは、二種類の努力をすっぱり切り離す。一つはタスクへの集中、もう一つは注意力の意識的なコントロールである。バイクを時速150マイルで走らせるとか、チェスの試合をするといったことは、まちがいなく大変な努力を要するだろう。だがフロー状態になってしまえば、この活動に完全にのめり込むので、注意力の集中を維持するのに何らセルフコントロールを必要としない。したがって、この仕事から解放されたリソースを目の前のタスクにだけ振り向けることができる。
ファスト&スロー(上) ダニエル・カールマン著 村井 章子訳 ハヤカワ文庫 p74~
森田療法でいうと、「感情が流れる経験」というのが「フロー」に相当するものである。治療において「行動する」すなわち「タスクをする」ことによって、注意を不安からはずすことを目標としているのであるが、良質なフローに入れられれば、非常に楽にタスクに集中できて都合がよいということになるのでは、と考えた。