ダマシオと森田の「自己」
ダマシオ博士の仮説で重要な位置を占める「自己」の仮説。
この「自己」について、森田はどう考えていたのか?比べてみる。
ダマシオはスピノザの考え方を参照しながら、以下のように書いている。
もっとも基本的な種類の自己は二番目の観念である。なぜ二番目か?なぜなら、それは二つの一番目の観念に基づいているからだ。一つは、われわれがいま知覚している対象の観念、もう一つは、その対象の知覚により変化する身体の観念である。自己という二番目の観念は、それら二つの観念―知覚される対象〈と〉知覚によって変化する身体―の関連性の観念である』
感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ アントニオ・R・ダマシオ著 田中 三彦訳
P276 より
森田はどう書いているか。
更に自己認識という事に就て、之は中々困難なる問題でとても簡単に説明する事は出来ぬけれども、一寸其要点を述べて見れば、先づ吾人は感覚によって、身体に風があたる、周囲の色々の変化が眼に視える等の事で、外界の存在を認識し、又一方内界には運動感覚、位置感覚等があって、取らんとして手を其方にやり、視んとして其方に転ずる等の自覚があって、ここに外界と自己とを区別認識する事が出来る。で此認識不明瞭である時は自己認識も従て不明瞭である。此故に幼時から精神の次第に発達するに従って、自己認識も益々明瞭となるのである
森田全集第6巻 夢の本体その2 P44 から
よく似ているような、似ていないような。
ただ、とんでもなく違うことは言っていない。
自己に関する説も100年を隔てて似ているというのは非常に興味深いことである。