ニューロセプションと良智
此良智と悪智との関係は、例へば衛生上の知識があるとすれば、神経質の患者ならば自分の日常の生活の総てを此金型にはめてしまって全く融通のきかぬものになり、又一方には発熱とか下痢とかがある時に、病に恐れてはいけないとかいふ理屈のもとに、無意味な無謀の事をする事さへも往々にある。何でも自分の理屈で自分を支配しようとするのである。之が悪智である。之に反して良智の人は自分の生命の自然発動に従って行動し、身体に異常があれば初めて其時に臨機応変の態度が取れる。此時に衛生上の知識があればさる程度有効になる。即ち良智は身体の事実に適応して行動し、悪智は想像や思想で事実を作らうとし、神経質の種々の症状が思想によって自ら作り出されたものであるといふ風になるのである。
森田正馬全集 第二巻 P137
認知的な評価ではなく、身体的な反応として定義したとき、「安全」とは環境の様々な要因と関係している。適応的生存の観点から言うと、「叡智」は身体にあり、意識の届かない、神経系の構造により機能している。言いかえれば、私たちが、環境中や人間関係にある潜在的なリスクを評価するとき、認知の働きを使っていると思うかもしれない。しかし、実は認知的な評価は、私たちの内臓の反応に二次的な影響を与えているに過ぎない。ポリヴェーガル理論では、意識の及ばないところで環境中のリスクを評価する神経的なプロセスは、「ニューロセプション」と呼ばれる。
ポリヴェーガル理論入門 心身に変革をおこす「安全」と「絆」 ステファン・W・ポージェス 著 花丘 めぐみ 訳 P20
この二つの文章を見ると、ポージェスの言う「ニューロセプション」を感じて、適応的に行動することが、森田正馬のいう「良智」なのだろう。