ワーキングメモリと森田正馬
今回は近年確立されたと考えられるワーキングメモリという概念を100年前の森田正馬は認識していたという話。またダマシオも同じようなことを書いているということを書きたいと思います。
ワーキングメモリとは
ワーキングメモリとは目標志向的な課題や作業の遂行にかかわるアクティブな記憶であり、言語性と視覚性のワーキングメモリがよく検討されている。いずれも、その役割は情報の短期的な保持と操作と情報の統合にある。さらに、ワーキングメモリには厳しい容量制約があることや大きな個人差があることが知られている。
苧坂 直行 編 注意をコントロールする脳 神経注意学からみた情報の選択と統合より
ワーキングメモリとは今現在脳の中で活性化しているイメージや思考のことかなと思うのだが、あっているかどうか?
森田正馬はこう書いている。
患者が注意散乱と称するのも、実は正反対の注意執着であって、患者は自分の病気の事ばかりに注意を集中して、其他の事には、「心ここに非ざれば、見えども見えず」である。それを強いて心に転じようとするから、心が散乱するように感ずるだけの事である。
森田正馬全集 第三巻 器質的に非ざる症状の診断及び療法 P300
もう少しわかりやすく
「患者さんが自分の病気(神経症、恐怖症)のことについて注意を集中し、ワーキングメモリを消費しているので、それ以外のことは見落としたり、失敗することが多い。それを注意散乱と言っているが、実は注意集中が原因になっているのである」
ダマシオはこのように書いている。
意識的な熟慮は知識についての思索だ。・・・こうした決断はオフラインの心的空間で処理されており、その空間は外部知覚を圧倒する。意識的な熟慮の中心にいる存在、将来に関する見通しを担当している自己は、しばしば外部からの知覚に気がつかないし、細かいことは気にとめない。そして、脳生理学から見てこの上の空ぶりにはとても大きな理由がある。イメージ処理を行う脳空間はこれまで見た通り、早期感覚の総和なのだ。この同じ空間が、意識的な思索プロセスと直接知覚の両方で共有されている。だから、両方同時にはできない。
自己が心にやってくる 意識ある脳の構築 アントニオ・R・ダマシオ 山形 浩生 訳 P324~
また、森田とよく似ていることを書いています。
※この内容については第35回日本森田療法学会で発表した。