心身一体論2
森田正馬とダマシオの考え方、心身一体論が似ている件、その2。
森田は「精神療法ニ対スル著眼点ニ就テ」という論文でこう書いている。
さて以上に述べたる所により精神と身体とは同一のものであり之を静的物質的に観る時身体であって之を動的変化の過程として観る時之が精神である、精神は活動の過程であるから例へば線香の火の輪のやうに之を無形といひ得るのである
森田正馬全集1巻 P112
それに対してダマシオは、
間断なく更新されていくわれわれの身体の構造と状態をじかに見渡せる窓をとおしてわれわれが見るもの、それが私の考える感情の本質である。この窓からの眺めを一つの風景としてイメージするなら、身体の「構造」は、ある空間における物体の形状であるのに対して、身体の「状態」はその空間におけるそれらの物体の光と影、動きと音のようなものだ。この身体風景において、物体は内臓(心臓、肺、腸、筋肉)、光と影、動きと音は、ある瞬間におけるそれらの器官の作用範囲の一点を表している。おおむね、感情とは、そういう身体風景の一部の、一瞬の「光景」である。そこには身体状態という特定のコンテンツがある。
デカルトの誤り 情動、理性、人間の脳 アントニオ・R・ダマシオ著 田中 三彦訳
ちくま学芸文庫 P25
と書いてある。
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