無所住心1
森田療法でよく言われる「無所住心」とは一体どのようなことなのか?
森田正馬はこのように記載している。
無所住心とは、吾人の注意が、或る一点に固着、集注することなく、而かも全精神が、常に活動して、注意の緊張、遍満して居る状態であらうと思はれる。此状態にありて、吾人は初めて、事に触れ、物に接し、臨機応変、直ちに最も適切なる行動を以て、之に対応することが出来る。
森田正馬全集 第二巻 P344 神経質の本態及療法 から
森田正馬と「注意」で説明したとおり、注意は二つの注意がある。
一つは意識的注意で能動的、トップダウン的であり、持続的で早い注意ではない。
もう一つは無意識的注意であり、受動的、ボトムアップ的で反射的で素早い注意である。
森田の説明文に戻ってみたら、最初の注意は意識的注意、次の注意は無意識的注意であることが理解できる。
無所住心とは、吾人の注意(意識的注意)が、或る一点に固着、集注することなく、而かも全精神が、常に活動して、注意(無意識的注意)の緊張、遍満して居る状態であらうと思はれる。此状態にありて、吾人は初めて、事に触れ、物に接し、臨機応変、直ちに最も適切なる行動を以て、之に対応することが出来る。
すなわち、無意識的注意だからこそ、臨機応変にできるのだ。
ただこの状態はどういうときに起こるのか?ダマシオの仮説で説明できるのか?次回はその部分を考える。
※この内容については第35回日本森田療法学会で発表した。