「あるがまま」と「ヨーガ」
アニーはヨーガの実習を続け、今も自分の経験について私に書いてくる。「今日私は、新しいヨーガスタジオで朝のクラスに行きました。ヨーガの先生はこんなふうに話してくれました。なるべく限界まで息を吸ったり吐いたりし、その限界に意識を向けるように。呼吸に意識を向ければ現在にいることになる。未来や過去に呼吸をすることはできないのだから、と。先生とそれについて、ついこのあいだ話し合ったと思ったら、もう自分がそういう呼吸法を実習することになるとは、本当に驚きで、まるで贈り物をもらったような気分でした。ポーズのうちには私にとってトリガーとなりうるものもあります。今日は二つありました。両脚をカエルのように上げるものと、骨盤に向かってとても深い呼吸をしていくものです。パニックが始まりかけるのを感じました。とくに呼吸をするポーズでは、ああ、嫌だ、私は体のこの部分が感じたくないのにと思いました。でも、それから自分を抑えて、かろうじてこう言うことができました。体のこの部分が経験をしまい込んでいることに気づきなさい。そして、ただ、そのままにしておきなさい、と。そこにとどまる必要もないけれど、去る必要もない。それを情報として使いなさい、と。これほど意識的なかたちで、そうできたことはなかったと思います。だから、そんなに怖がらずに意識を向ければ、もっと楽に自分自身を信じられるのだと思えました」
身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法 ベッセル・ヴァン・デア・コーク 著 柴田裕之 訳 P454
この部分は森田療法の「あるがまま」の概念を言い換えていると考える。
「あるがまま」とは「現在にいる」ことだ。その方法として、「呼吸に意識を向ける」という方法があるということ。
そして、不安や恐怖などを伴う経験が情動脳から蘇ってきたときに、「そのままにしておく」ということも、「あるがまま」の成分の一つだ。