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森田とダマシオの情動と感情の理論を比較した

ダマシオの情動と感情の理論で「身体の変化(ダマシオのいう情動)」を知覚したのが感情」と説明しました。

文献的に森田正馬の考えと比較してみます。繰り返しになりますが、まずはダマシオの著作から

われわれが何か恐ろしい光景を目にして恐れの「感情」を経験する場合を考えてみる。その場合、体が硬直する、心臓がドキドキする、といった特有の身体的変化が生じるが、身体的変化として表出した生命調節のプロセスが、ダマシオの言う「情動」(この場合は「恐れの情動」)だ一方、脳には、いま身体がどういう状態にあるかが刻一刻詳細に報告され、脳のしかるべき部位に、対応する「身体マップ」が形成されている。そしてわれわれが、その身体マップをもとに、ある限度を超えて身体的変化が生じたことを感じ取るとき、われわれは「恐れの感情」を経験することになる

感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ アントニオ・R・ダマシオ著 田中 三彦訳

P4 訳者まえがき から

 

森田正馬は

普通精神といえば多く自分の気分即ち感情および其の他の精神活動について自ら意識し得たる単に主観的のもののみ考えるようである。然るに此の意識というものは身体内部若しくは外界の刺激があって、神経に一定の興奮が起こった時初めてここに一定の気分を起こす其の気分を起こし得る限界を感覚閾若しくは刺戟閾と名付ける。刺戟とは言いかえれば身体に及ぼす変化という事であって、例えば吾人が静かな室に寝ている時実際は音も光も外界無量の刺戟があり、内部には心臓拍動血行等絶えず刺戟があるけれども、何の感じも起らぬが、或る変わった音を聴き或いは胸騒ぎの起こるとき初めてここに或る気分を起こすのである。即ち吾人は此の身体に及ぼす変化というものを除いて全く気分というものを認める事は出来ない

森田正馬全集 第一巻 P154

やはり本当に似ているのである。

これは「悲しいから泣くのか、泣くから悲しいのか」問題と関係する。そう「泣くから悲しい」というジェームズランゲ説と似ているのである。でも少し違うとダマシオは指摘しているのだが、これはまた後で。

※この内容については第34回日本森田療法学会で発表した。

 

 

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