意識の末梢性とは
これもダマシオと森田正馬の理論が似ているという部分。
意識の末梢性とか、意識の遠心性と言われる部分。それは体得と関係している。まずダマシオの表現から
われわれはそれまで数多くの意識的な実行により、学習曲線にそって身につけた無意識的な技能の恩恵を受け入れたことになる。家に歩いて帰るとき、意識がモニターする必要があったのは、その旅の全体的な目的地だけだ。
自己が心にやってくる 意識ある脳の構築 アントニオ・R・ダマシオ著 山形 浩生訳
早川書房 P322
森田は全集の中で、
又吾人が煮豆をはさむ箸でも、其指の使い方は、どんな風にしているのか、少しも気が付かないようなものである。是等の事実から見れば、吾人の注意若くは意識は、唯だ目的に対して、其方にのみ、遠心性に向かっているようである。
森田正馬全集 第二巻 P303 神経質の本態及療法 から
意識的な実行を繰り返すことにより学習する。それは最後には無意識的技能となる。これはいわば「体得」とも言える。
自宅に歩いて帰るというのも、曲がり角を毎回意識し確認しなくても勝手に足が動く。箸の使い方も幼い頃に練習して「体得」したものである。
無意識的な技能であるから、目的を意識するだけで勝手に身体が動くというのが、「意識の末梢性」である。
体得すると、そのことについて反射的、非意識的対応が可能となる。それは「努力即幸福」や「無所住心」につながっていくものと考える。
※この内容については第35回日本森田療法学会で発表した。