神経質の症状は主観的である
今回のテーマは森田の言葉をダマシオの理論で説明できるという話
神経質の各症状は、身心の疲憊、其他の合併症なき限り、其本来に於て、主観的のものであって、他覚的のものではない。
森田正馬全集第二巻 神経質ノ本態及療法 P288
此心悸亢進発作の時、或は脈拍が百二十、百四十、百六十にもなる事がある。或は患者によりては、現在動悸がするといひながら、而かも脈拍は殆んど常態に近いものがある。
森田正馬全集第二巻 神経質ノ本態及療法 P292
森田神経質は、現代の神経症(不安症、恐怖症など)に相当するものと考えてよい。その「神経質の症状は主観的なものである」というのが森田の主張である。どのようなメカニズムで主観的なものになるのか、ダマシオの理論で説明できるというのが私の主張。
このような感情を生み出すための想定メカニズムは、私が「仮想身体ループ」機構と呼んできたものの一種だ。それは脳による内的な模倣で、それが現在の身体マップを急激に変更する。これは、たとえば前頭前皮質や前運動皮質のような特定の脳領域が、身体感知領域に直接信号を送るとなされる。
感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ P158
この「仮想身体ループ」もしくは「あたかも身体ループ」という説明がその答えとなっていると考える。
以前説明した一次の情動、二次の情動は明らかに身体が変化する「身体ループ」でした。
「あたかも身体ループ」は実際の身体の変化を起こさずに、脳内の体性感覚領域のマップを変化させ、あたかも身体が変化しているように知覚するということ。
これが、森田が「神経質の症状は主観的なものである」のメカニズムではないかと考える。
※この内容については第36回日本森田療法学会で発表した。