散歩
散歩の話題。下記のように森田は単なる散歩は神経症にとって有害であると書いている。
散歩は、一見すれば脚の単調なるコンパス運動で、街の店先をあさり、野原の景色にあこがれる等、精神の遣散法として最もよさそうに見える。然し乍ら神経質からいへば寧ろ反対である。所謂心ここに在らざれば見れども見れずで、神経質はヒポコンドリーの基調から常に自分の症状に屈託し、自分で何処をどう歩いたか分らぬやうに自分の煩悶に駆られて居ることが多い。・・・多くの医者が神経質に散歩を処方する事が多いが、有害である。・・・神経質の散歩には或る目的がなければならぬ。
森田正馬全集 第一巻 P429 から
次の文章と比較してほしい。
ぶらぶら歩きより速いペースになると、散歩はすっかり様子が変わってしまう。早歩きになったとたんに、思考能力はあきらかに低下するからだ。ペースが上がるにつれて、私の注意力は歩くこと自体にひんぱんに向けられ、意識的に速いペースを保とうとする。それにつれて、一連の考えを結論に導く能力は損なわれていく。上り坂で私が維持できる限界はおよそ1マイル14分だが、この速さになると、何かを考えようと試みることすらできなくなる。小道をたどりながらすばやく歩くという肉体的な努力に加えて、ペースを落としたいという衝動を抑えるには、克己心を発揮する精神的な努力も必要だ。こうしたセルフコントロールも熟考と同じく、努力という限られたリソースを消費する。
ファスト&スロー(上) あなたの意思はどのように決まるか
ダニエル・カールマン 著 村井 章子 訳
神経症のコントロールにおいて、いわゆる「とらわれ」を排除するためにはシステム2、すなわち思考をコントロールする必要がある。そのために森田は『目的』を挙げた。また別の方法として、速いペースで歩いても、システム2の働きが弱くなっていくことをカーネマンは挙げている。歩くことの処方のヒントになっていると思う。